ひとこと。

以下、個人的意見です。

新型コロナウィルスワクチン接種を要因とする死亡例10人に死亡一時金を認定したという記事を見た。この点、もう少し騒ぐのかなと思ったが、結構控えめな雰囲気で、どちらかと言えば、防衛費による増税についての話題が多い気がする。

基本的には、ワクチン接種については、今回のものは試験薬であって、リスクもこっそり明示されてきていた。ワクチンを打つことで、副作用や最悪、死に至ることは僕としては想定の範囲である。しかし、問題は、国(政府)やマスゴミがこぞって、ワクチンを打つことを推奨し、大規模接種会場などを設置し、税金を投入してまで行ったことである。死に至るリスクは明示せず、周りのみんなのために打ちましょう、的な雰囲気を醸し出したことに、罪はあると思う。

問題は、誰がその責任を負うのかという点である。誰も責任を負わないのであれば、推奨(ほぼ強制に近い)をしておきながら、結果がどうだったのかのフィードバックをしない。何も蓄積されない。無駄だったということだろう。

ワクチンを打った結果、重症化を免れたのか、感染予防になったのか、は数字上でも変化は無い気がする。

PDCAを行わない施策は、もはやくそだ。結果的には、その周辺の人だけが儲かっただけで、大半の国民にはなにもメリットは無かったという話だろう。

こうやって人間は自ら破滅へと向かうのだろう。

飲食店の話

飲食店の話。

僕は、飲食店を、どんなに食べログの点数がよかろうと、客が入っていようと、自分自身がどうだったか、美味しかったかで、判断する。まぁ、当然の話なのだが、昨今の人々の感性を見ていると必ずしもそうではないらしい。ただ、美味しさの基準は人それぞれだと思う。

味については、基本的に、舌が肥えすぎているので、美味い、と感じるお店は少数となる。また、行ってもいいか、の判断基準は、店の雰囲気、接客態度、客層で判断していると思う。

雰囲気や接客態度が悪くても、肉が美味しいので行く焼き肉屋は二か所ある。店の雰囲気や客層が、ちょっとアレな鉄板焼き屋があるが、そこは料理となにより、生ビールが美味いので行くお店がある。この三つのお店は、食べログでもそれほど点数は高くなく、ミシュランも来ていないだろうといったお店だ。僕らは基本的に飲むので、客単価は他の人の1.5倍以上はすると思う。

外食する機会が少なくなった、今、新規開拓が減って、グーグルマップのピンの数だけが増えていくばかりだ。そろそろ、消化する必要がある。新規開拓するには、お店の人との人間関係の構築も含まれるので、結構パワーがいるから、なかなか一歩を踏み出せないでいる。もう少し、仕事などが落ち着いたら再開してみよう。

 

今日は、久しぶりに醤油ラーメンが食べたくなり、とことこと歩いてお店に行った。できた当初は感動を覚えるおいしさだったが、時間が経つにつれ、美味しさが減少していっていたので少し足が遠のいていたのだった。久しぶりに行くと、なかなかの人入りである。コロナが落ち着いて、客足が戻ってきたようだ。いつものメニューを食券販売機で購入し、一人席に座る。どんどん客が来るなか、食券を渡す。しばらく、SMSなどで取引先とやり取りしていて気づかなかったが、後に来た隣の席の人が食べ終わって帰るところだった。おいおい、まだ来ていないぞ。しばらく様子を見ていたら、新規に入ってくる客の方が先に出ている気がする。店員に声をかけると、どうやら、食券をなくしたかなんかで、再度、注文を聞かれるという事態に。

若いころだったら怒っていただろうが、もう、良い大人だし、経済的にも恵まれている立場なので、怒りを発することはしなかったが、二度と来るかという気持ちにはなった。そして、注文していたものが来る。味が落ちていたため、その二度と来るかという気持ちは決意に変わった。クーポンを必死に配布するんであれば、客の入りの順番を覚え、注文どおりに出ているかどうかに注意を払ったほうがいいのでは、と思ってします。

僕はアラブ人ではないので、男尊女卑はしないが、いまどきの女性って謝らないよね。自分が悪いと思っていないよね。口だけだよね。若ければまだ許される、けど、少なくとも僕より年上なのだから、もう少し、トーンを下げたらと思いながら、クーポンをゴミ箱に捨てて帰った。二度と行かない。

 

幼少期から外食をしない家だったので、外食の特別観は日に日に上がっていく。社会人になりたてのころは、いちいち、自分のお金で好きなものを食べれる喜びを感じていた。それから、いろんなお店に行くことに楽しさを感じ、今や、一食一食の価値を高めることに嬉しさを感じているようになった。結果、飲食店に求めるものも高くなった気がする。そうなると困ったことが、期待値が高い分落胆も多くなって小難しいおっさんになっていくのである。

それでも良いお店は数多くある。(はず)そうしたお店を少しづつ見つけれればと思う。客層は、行ってみないとわからないし、行った日によって変わる、変数みたいなものだとは思うが、それでも、その飲食店独自の客層といったものは形成される。そして、客層は、店主の思想の表れだと思っている。店主ががさつだと、ガサツな人がある集まるし、几帳面だと、似たような人が集まる気がする。テンでバラバラといった飲食店はあまり見ないか。特に、ディナーなどの機会では。

どんな仕事でもそうだけれども、事業が成功するかどうかは人に掛かっていると思う。良い人と仕事ができればよいが、悪い人や愚鈍な人と仕事をすると、碌なことにならない。ストレスだけ余計にかかるだけ。でも、良い人を見つけることが一番大変なのである。良い人を見つけるには、自分自身が良い人になればよく、そこを目指して日々、生きている。

でも、良い悪いを見極めるには、本当に良いものと、悪いものの両方を見ないと、どれが良いものかの判断はつかない気がする。そういう意味で、たくさん行って、判断材料を蓄積するのは良いとも思う。毎月行っている和食屋さんがあるが、そこは一度、次はないかなと思った回があって、その次の機会のときに、感動するくらい美味しいものをいただいたので、それ以降、浮気もせず、毎月行っている。値段はそこそこ張るので、家計の負担にはなってしまうが、それが一つの楽しみとなっている。そうしたお店に出会えて通えることが、人生の一つの楽しみだろう。

 

神無月 四

 

参議院が開幕しましたね。

議長の挨拶に対する返事は下記のとおりです。

現下、我が国をめぐる内外の諸情勢は依然として厳しく、早急に対処すべき幾多の重要問題があります。

 その通りです。早急に対処してください。

我々は、我が国の現状及び国際社会における立場を深く認識し、内政、外交の各般にわたり、速やかに充実した審議を行い、必要な施策を講じて、国民生活の安定向上を図るとともに、世界平和と繁栄の実現に一層大きな役割を果たしていかなければなりません。

 速やかに充実した審議をお願いします。国民生活の安定向上をお願いします。

ここに、開会式に当たり、我々に課せられた重大な使命に鑑み、

 そうですよ、皆様は重大な使命があるのです。

日本国憲法の精神を体し、

 憲法の精神の体を成していない状況の気もしますが。

各々最善を尽くしてその任務を遂行し、持って国民の信託に応えようとするものであります。

 最善を尽くしていないことが多いようですが、居眠りなどしている場合ではありません。そして、国民の信託にちゃんと応えてください。

 

最近の政治家は目に余ること、発言をする人が多いですね。もう少し品格を持って欲しいです。

 

ということを感じた一日でした。

神無月 3

とういことで、もはや毎日は作成できない領域でした。三日坊主ならず、二日坊主。二日酔いかよ。何が問題かと言えば、お酒を飲むからですね。根本的な原因はそこです。お酒を飲む、やる気をなくす、眠くなる、そして、寝てしまう。

継続は力なりだけれども、継続する大変さがあるよね。

最近は、釣りをしていまして。釣りって人口が凄い。釣り具屋に行ったらこんな人気やねんというくらい人がいる。すごいね。あと、釣り具が意外にいい値段する。いろいろなブランドから仕掛けがでていて、どれが釣れるかわからないし、実際、釣れる釣れないというのはやってみないとわからないし、仕掛けのせいで釣れなかったのか、それとも潮目のせいで釣れなかったのか、わからない。だから仕掛けをいろいろと買ってしまう。竿(ロッド)やリールもそこそこの値段をする。安いのを買っても釣れないんじゃないかと思い、そこそこのものを買ってしまう。かれこれ〇十万円は使っているのではと思う。それでも、続くのはやはり、釣りたてでなおかつきちんと締めた魚の美味しさよ。美味しいくて、スーパーとかでは食べれない味ですね。

 

 

神無月 ふた。

エリザベス女王国葬は伝統的といったさすがな印象を受けた。BSでBCCの生中継を見ていたが、始まると厳かな雰囲気で、コメントもなく、粛々と進められていた。気になって、民放に切り替えると、蛇足というか、いらない情報がたくさんあって、あぁ、やはり日本のレベルはこうしたものかと感じた。伝統や作法へのリスペクトが無い国になってしまったからこうなる。

 

ところで、歴史が積み上がらないという点では、お隣のC国に繋がると思う。王朝が変わるごとに、従前の王朝のものはすべて粉砕されている国においては、伝統や作法というものは積み上がっていかないのだろう。自分たちの価値観が全て、それを押し付けて統制するといった印象がある。ところで、ナショナリズムとはなんだろうか。これだけ、国際社会がフラットになると、昔ながらの「日本人」というものも存在意義、いや、存在自体があやふやになってきている気がする。なにより、平均化が進み、どの国も似たようなものになるのではないかと思う。それは少し寂しい気がする。日本に生まれた以上は、日本人としての誇りをもって生きていきたいと。おかしい考えかな。

 

そういえば、「電通」が関わっていたのは、事実確認せずに口走りました、実はかかわっていませんでしたという記事が流れてきた。とくにコメントはない。どうでもいいことだ。いかにテレビが適当で欺瞞や嘘に溢れているかということだ。と、二日連続でテレビ批判。

 

亡くなられた際のお悔やみとか、不幸があった時とか、なんといっていいかわからないときが多い。自分自身に係わる事だったらなにか感じるのかな。そこらへんうまくいかないことが、そのときそのとき、もっと何かできることがあったのではとは思ってしまう。

 

仕事の方は、次々と舞い込むような状況。おかげさまで。これこそ過去の蓄積があったからこその状況。積み重ねが大事。きちんと頑張っていこう。

 

 

 

 

神無月 初日。

9月はいろいろあった月でした。

国葬とか反対派は結局、実行されたわけで、目的を達せられなかったから、これが普通の民間企業だったら、契約取れなくて会社にお金が入ってこないから激詰めされるところですね。ところで、それだけの時間をなにかもう少し有意義なことに使った方がいいのではと思うし、なんなら、デモをするよりも、もう少し丁寧に、民衆に対して広告するのが良いのではと思うわけです。なんの役にもたたないことをしている気がします。そして、野党も口だけで、もう少し本気を出して反対したらいいのにと思うので、結局同じ穴の狢なんでしょうね。というか、選挙いったら?

国葬の内容までは見ていないけれども、菅元総理の弔辞は読みました。よかったです。反対に岸田総理の弔辞はいまいちでしたね。政治的思惑が透けすぎました。一部、某電通が原稿を書いたとか批判されていましたけど、根拠もなく風説するのはよくないなと思いながら、あのレベルの原稿をかけるのであれば及第点でしょう。優秀な人に仕事を任すのは当然で、これが、某民主党関連がやったら、おそらくグダグダでなにも感傷を受けない弔辞だった可能性は大だったと思います。なぜ、2位じゃだめだんでしょうかとか言っていたわけですから。

ところで、こうして取り上げれば取り上げる程、Y氏の願いは達成されるわけです。昔から思うに、こうした社会的犯罪行為(無差別殺人などふくむ)については、事件の事実だけを見せて、動機や、背景など、他人には全く関係なことを取り上げないことです。取り上げるのは、雑誌などの紙媒体だけにしたらよいのです。テレビがやることではないと思っています。やっていることは犯罪の片棒を担ぐようなものなのですから。

ま、テレビ見ないから関係ないけど。

 

仕事の方は遠方に行ったりとバタバタをしていました。10月は落ち着きながら数字が上がればいいなとは思っています。ストックビジネスではなくフロービジネスなため、常に動いていく必要があるのが、体調が悪いときは落ち込みますけど。しかし、固定される費用やいらぬ経費(メンテナンス費用など)が掛かるわけではないので、やりやすいのはフロービジネスでしょうか。最近はやりのサブスクリプションが一番でしょうけどね。利子みたいなものですよね。サブスクリプション

 

勉強の方はなかなか毎日はできていない感じです。問題集をやることを基本として行っていますが、たまに教科書をみると、あぁ、そういうことか、この部分は知識の蓄積になっていないなと感じることがあります。予習復習は大事ですね。毎日の積み重ねの大切さをこの歳で知るのは過酷なものがあります。小学校のうちに理解しておくと人生が変わったのでしょう。玉石混交な商売をして、ストレスを抱えることになったわけですから。

 

ところで、過日、新型コロナに感染してしまった訳ですが、二日ほど高熱を出し、もうこのまま死ぬのではないかという気持ちになって、そこから待期期間が一週間以上あったわけです。外出しないということはかなりの体力の消耗があり、結果、復帰してからもずっと芳しくない状況が続いていました。というか、もう一ヶ月以上経過するのにまだ不調なわけです。こうして考えると、このウィルスは通常の自然発生的にできたものではないんだなぁ、という気がします。ワクチン接種も気持ち悪かったし。二回目の感染はご免です。そして、この機会に気づいたのですが、非接触型体温計の無能さ。高熱を出すと、大量に発汗するので、放射冷却により、身体の表面を温度はかなり下がります。ですから、非接触型だと、39度以上実際は体温があっても、35度程度になるわけです。検査を受けに行って、「体温は正常です」と言われるわけです。なんでやねんと思いました。あ、アイフルの、猫のやつ面白いですよね。心情を聞いているのに、猫。センスが秀逸です。

 

明日も書けるでしょうか。